創作における注意点及びその効用

 こんにちは、漫研5年目(M1)の東洞院右近です。新入生の皆さん、この度はご入学おめでとうございます。また、新入会員の皆さん、ご入会ありがとうございます。
 さて、今回はちょっとマジメな話をさせて頂こうと思います。
 題して、「創作における注意点及びその効用」であります。
 結論を先取りすると、「創作にはとても優れた効用があるから、みんなもチャレンジしてみませう」ということになると思います。
 ちょっと長い文章で、あと堅苦しい書き方になってしまいましたが、よければお読み頂けると幸いです。

 なお、この記事は飽くまで私個人の見解を紹介するもので、議論の提起を意図したものではありません。
 また、特定の見解を支持するものでも、否定するものでもありません。
 そのため、コメント欄で論争を繰り広げることは私の本意ではありませんので、何かご意見のある方は、ボックスなどでその旨をお伝えください。一緒に議論しましょう。


 では、以下本題。
 まず、創作における注意点を説明します。
 次に、創作の効用について説明します。

 創作をする際に注意すべき点は、「読者の存在を意識すること」です。
 つまり、読者は誰で、彼は何を望み、自分はそれに対してどのように応えられるのかを意識しながら、作品を作るべきだと、私は考えています。
 なぜならば、読者の存在を無視した作品は、往々にして独りよがりになりがちだからです。そのような作品を読んでも、読者が得るものは少なく、かえって疲れさせられ、不愉快になるだけです。
 なので、読者に対する配慮を忘れないように、作品を作るべきである、というのが私の意見です。

 しかし、上記の見解に対しては、次のような反論が考えられます。すなわち、「プロならともかく、アマチュアが自分のために創作をして何が悪い」というものです。
 確かに、それは正しい反論だと思います。私の見解も、「作者自身のための創作」を否定するものではありません。
 自分の思うように作品を書くことは、創作活動の原動力であり、また作者に許される最高の贅沢だからです。
 では、だからと云って、読者に対する配慮を全くしなくてもいいということになるのでしょうか。私は、その答えは「いいえ」だと考えています。
 なぜならば、完全に作者自身のために書かれた作品は、①作者自身がカリスマを持つか、あるいは作品自体が類を見ない価値を有し、②さらにそれらに対するフォロワーとしての読者が存在しなければ、支持されることはないからです。
 特定の個人を中傷するわけではありませんが、一般に、大学の漫研に所属する一介のアマチュアが上記のようなカリスマを持ち、あるいは価値ある作品を生み出す能力を持つことは希だと思います。
 そのような中、始めから読者を無視した作品を公表することは、反感を買いこそすれ、評価されることはまずないでしょう。
 以上より、私は自分のための創作は否定しませんが、読者に対する配慮を忘れてはならないと考えます。

 また、次のような反論も考えられます。すなわち、「見て不愉快になるならば、見なければいいのだ」というものです。
 確かに、見るか見ないかは読者の自由です。それに、誰かに作品を見ることを強制されるといったことも考えにくいでしょう。
 しかし、そもそも何らかの媒体に公表したということは、作品を誰かに見て欲しいということではないのでしょうか。その上で、自分に都合の悪い評価を下す読者が現れたら「見なければいい」と云うのは、甚だ自分勝手だと思います。
 また、読者は初めてその作品を読むのですから、読了するか、ある程度読み進むまでは、その作品が面白いかどうかを判断しにくいものです。そうすると、読んでいる作品が面白くなかった場合、読者は期待を裏切られたり、時間を無駄にしたりしたということになります*1
 そのような人たちに「嫌なら見なければいい」と云っても、読者にとっては迷惑である上に、そもそも手遅れです。
 またもや特定の個人を中傷するわけではありませんが、以上より、私は、読んで欲しくなければ他人の目に触れるところに公表しなければいいし、読んで欲しければ、読者に対する配慮を怠ってはならないと考えます。

 ところで、このような意見を述べると、「自分は上手く作品を作れないから」と萎縮してしまう方がいらっしゃることでしょう。それは当然のことです。
 しかし、プロならともかく、アマチュアが自分の技量を恥じて筆を止める必要はありません。
 なぜならば、私が上記のように述べたことは、飽くまで「読者に対して配慮を尽くせ」ということであって、決して「読者に責任を持て」ということではないからです。すなわち、プロとして読者から金品を受け取っているわけではない以上、必ずしもその対価に値する作品を提供しなければならないわけではない。ただ、最低限のマナーとして、読者の存在を意識するべきだと、私は考え、主張しているのです。
 巧拙の問題と心構えの問題とを混同せず、きちんと区別して頂きたい。
 私は、技量が優れているかは関係なく、創作にチャレンジして欲しいですし、そのような方々を微力ながら応援させて頂きたいと思っています。

 以上が、創作における注意点です。

 次に、創作の効用について説明します。
 以上で述べたことに気をつけていると、いずれ、①相手のことを慮ること(読者が誰か、何を望んでいるのかを考えること)と、②自分を客観視し、相手と相対化すること(自分がどのようにして応えられるかを考えること)ができるようになります。これは大変難しいことですが*2、習得すれば、創作だけではなく社会全般に通用する能力となります。
 例えば、各種コンパや飲み会で「空気を読む」こともできるし、目の前の相手と会話をスムーズに進めることもできる。つまり、社会の中で相手をなるべく不愉快にさせずに行動することができるようになるのです。
 そうすると、創作活動において読者に対する配慮を怠らないということ、つまり、読者の存在を意識するということは、非常に応用範囲の広い能力ということができます。

 以上が、創作の効用です。

 上記のような能力を鍛錬するためにも、是非創作にチャレンジして頂きたいと、私は思っています。
 もし、この記事で書いたことが皆さんに受け入れて頂けたら、望外の喜びです。
 また、受け入れられなくてもいいので、何故、自分が創作をやるのか、その理由と、長所と短所を検討してみてください。

 もし余裕があったら、次は「批評の注意点とその効用」について、記事を書かせて頂きたいと思います。
 最後になりますが、日誌っぽくなくてごめんなさい。
 また、重ねて申し上げておきますが、この記事は、決して議論の提起を目的とするものではありませんので、何卒ご理解いただきますようお願い申し上げます。

 ではでは、失礼します。

*1:反面教師として有意義だったということも考えられますが、その人が創作者でもない限り希なことでしょう。

*2:私もまだできているとは云えません。トホホ……。